kamekichi2157の日記

kamekichi2157の独自目線

大宰府とは

今週に入って急に春めいてきた

生き物が長い冬眠から目覚めるように、世界も目覚めだしてその流れが一挙に加速するような気配が感じられる

菅原道真の歌の中に

東風吹かば 思い起こせよ梅の花 主なしとて花の咲くらむ

と言うあまりに有名な歌があるが、これは道真が都から九州の大宰府に流されていた時に詠んだものだ

 

ところで、大宰府は日本が「白村江の戦」で唐と新羅の連合軍に負けた時に、中大兄皇子(後の天智天皇)が日本防衛の拠点として築かれたことになっているが、それでは「太宰」とは一体何を指すのだろうか

今でも「宰相」と言う言葉があるように、大きな首相と言う意味合いだと考えられる

当時の日本は大化の改新直後で中大兄皇子自身の権力基盤さえ不安定であり、日本が過去の豪族支配から脱却し天皇を中心とした中央集権国家を打ち立てる途中であった

そんな時代に、そもそも「首相」なる役職を置くだけの政府の組織自体が日本に確立していたのだろうか

実は、最近の歴史研究の成果として、「大宰府」は唐国の皇帝から派遣された指令官がいた都市、即ち「府」だったことが分かってきた

太宰府」とは言わば「連合国軍総司令部」「GHQ」であったのだ

これは、考えてみれば至極もっともな話で、日本に第二次大戦後マッカーサーが来たように、当時世界で一番大きな帝国だった「大唐帝国」が敗戦国日本の管理のためにその拠点を北九州に置いたと言うだけの話なのである

であるから通説の「日本の防衛の拠点」と全く逆の話になるわけだ

さらに遣唐使とは実は文物の交易のために派遣されたわけではないのだ

冊封国として日本が「大唐帝国」の皇帝に拝謁に伺ったと言うことに過ぎないのだ

既に唐の歴史書にこうした記述がはっきりと残っているという事まで分かっているらしい

 

日本の国家の独自性や日本人の優秀さを自覚することは良いことなのだろうが、だからと言って日本人が世界で唯一他国からの侵略を免れてきた国家であり、日本人が世界で一番優秀だと決めてかかるのは何か「オカシイ」し、あまりに尊大な認識ではないだろうか

 

日本人には近隣のどこかの国のように「イソップの蛙」のようになって欲しくないと願う次第なのである

かつての常勝軍団「ジュビロ磐田」の低迷について

ジュビロ磐田が降格した2019年はラグビーワールドカップが開催されていた

 

一事業年度に企業がサッカーとラグビーの両方に同量の経営資源を配分するのは決して得策ではなく、この年にジュビロの親企業の「ヤマハ発動機」がラグビーを優先させたのは当たり前と言えば当たり前であった

と言うよりか、「ヤマ発」は相当前からサッカーつまり「Jリーグ」に見切りを付け、ラグビーへの転向を図っていたものと思われる

清宮氏をラグビー部の監督に据えたのがその始めだろうし、それからは監督の母校のW大の有名選手を次々にチーム入りさせて着々とチーム強化を図ってきたのだった

 

ところで、ジュビロ静岡県の高校の中でも「藤枝東高校」と「清水商業高校」の出身者が目立つが、清水商業は高校の再編で「清水桜が丘高校」に変わって以降サッカー部の低迷が続いている

「きよしょう」からは名波や藤田と言った代表クラスの選手が数多くジュビロ入りして長い間チームの柱となった来たのだが、そこからの有望選手の供給を絶たれたジュビロはもう一つの柱の「藤枝東」からの人材に頼らざる負えなくなった

ところが、「藤枝東」は実は県内でも有数な進学校であり、有望な選手は長谷部誠のように高卒で海外のチームにチャレンジするか筑波大や早稲田大などの名門大学に引っ張られることが多く、大卒の選手が伸び悩む傾向がはっきりしてきた昨今では費用対効果の点からもあまり前向きに採用することも無くなっていたのだった

 

かつて猛将「ドゥンガ」が在籍しゴン中山、日本ナンバーワンレフティー名波、小さな巨人藤田などそうそうたるメンバーで常勝軍団として光り輝いていたジュビロ磐田も、

日本のスポーツ選手の海外進出の傾向を見定めた「ヤマハ発動機」の企業戦略の結果、早々と見限られてしまったようなのだ

 

中村俊輔は長年在籍したマリノスのおそらく監督候補としての立場を捨ててまでも、レフティーの大先輩の名波の下に入ったのだろうが、当時からジュビロの中に低いモチベーションを感じていたのだと思う

彼がなんとなく後味の悪い形でチームを去ったのもそうした背景があったせいだと思うのだが

 

 

私の故郷の川勝平太静岡県知事について

JR東海と「リニア工事」問題でやりあっている川勝平太静岡県知事について少々書いてみたいと思います

 

唐突ですが川勝知事は実は「秦氏」の祖先である「秦河勝」の子孫です

という事は秦の始皇帝の血を引いていることになるわけです

何かと話題の多い知事ですが地元でも「上から目線」であるとか、端的に「威張っていて、虫が好かない」とか言われています

実は川勝さんは政令指定都市である静岡市の市長を「きみ」と呼び、名前で呼ばなかったことがあり、物議を醸したこともあります

 おそらく、川勝さん自身に自分が日本有数の渡来人の「秦氏」の直系で始皇帝の子孫なのだと言う強烈な自負があるからこそ、強気の発言を繰り返すのだと思います

 

川勝さんは早稲田大学を卒業後オックスフォード大学に留学し、早稲田の助教国際日本文化研究センターの教授などを経て、静岡文化芸術大学の学長となり、その直後当時の静岡県知事の石川嘉延さんに後継指名されました

研究者からスタートし、教授職を経て政界入りした典型的な学者エリートなわけです

しかもプライドの高い京都人(生まれは大阪)でありますから、鼻っぱしが強いのも頷けるわけなのです

 

これは私の下種の勘繰りですが、このところの派手目の御活躍ぶりをみるとおそらく四期目を目指しての「アピール」もあるのではと考えたりもしているのですが・・・・